SNSを通して最近感じたことがあります。
それを今日は整理していきたいと思います。
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私は数年前からホリエモンこと堀江貴文さんの本やYouTube、ツイッターで情報を得ていました。
ホリエモンの情報を得ていれば自然とNewsPicksを知り、過去動画でオンデーズの田中さんや【死ぬこと以外かすり傷】通称死ぬカスの著者箕輪厚介さんを知り関わった本を知りどんどんその界隈の輪を知っていきます。髙橋洋一さんの動画も見てました。
そうこうして堀江さんの動画のゲストで田端さんを知りました。
話し方もはっきりしていていかにもすごい人なのが伝わってきます。
田端さんのツイッターを見たり、出演された動画を見ていると、
転職だったり、ビジネスの考え方だったり、質問に対しての受け答え1つとっても、僕達の生活のとても身近な内容だと感じるのです。
と、同時にそれらは私達が踏み込めていない領域である。
ホリエモンの動画を見ているころはまだ知ったか。
いい意味で遠い存在すぎて身近な出来事とは感じづらい。
例えとしては極端ではありますが、
思考は変わるが自分の行動までは変わらない。
それでも学んだ気になっていますから、気分はとてもいい状態です。
その点、田端さんの情報を浴びてる時は違う。
ありがたいことに田端さんはより下へのアプローチが強めです。
それは私たちに紛うことなき今の自分という事実を襲いかからせてくれます。
学んだ気になりますが、ジャブ連打、ボディブロー、ストレートパンチ浴びてボロボロになるし、打ちのめされる。
お前は何やってんだ。何者でもないだろう。と自分の中のリトル社長が絶望感をすぐ突きつけにやってくる。
SUNABACOのなかまこさんや猫山課長さんはもっと厳しいです。
やれ。やらねば死あるのみ。常に変化しろ。安寧など訪れん。
ということを言っているに等しい。(捉え方間違ってる?)
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ホリエモンの動画を見ていた頃は
ぬるま湯に浸かっていただけだったのだな、と最近感じるのです。
それは取り入れる情報がより自分に近いものになればなるほど、
しっかりと自分の人生で積み重ねた人たちと積み重ねていないサボり人生の自分との格差を認識せざるを得なくなる。
さらには周りの人たちとのちょっとしたキラキラしたことも格差だと感じるようになってくる。
いつかやると何度言ってきて言い訳して何度諦めた?何度も繰り返してきたからここにいるのです。
そう突きつけられることは私たちが見て見ぬふりをしてきた現実なんだと気付いてしまいました。そこから今とても苦しいのです。
でも、悄気てる場合じゃない。
積み重ねていないのは自分の責任であって、他者と比較して自分の今いる位置を認識することは大事だが、そこで格差を感じて落ち込むものではない。あくまでも自分軸で考えるべきです。
私はサラリーマンを辞め、会社を作ってフリーランスになりました。
そこからというもの、サラリーマンである人たちがなぜか輝いて見えるようになりました。ストレスと戦い、人との関わりがあって日々変化があるように見える。自分が手放した【チームで仕事をする】ということが羨ましく感じる。
でもそれは隣の芝は青く見えるだけかもしれません。
自分がフリーランスになって8年になろうとしています。
今のところ支払いも滞らせず、家族も衣食住欠かさず養うことが出来ました。そろそろ自分の芝も青いことを自分が認めてもいいのではないか、と感じています。
SNSを見て結局何者でもない自分を感じて落ち込んでしまうことが多いのですが、そもそも何者でもないことが普通なのであって、それでも自分が何をやりたいのか何をしていきたいのかはある程度自分で道筋立てて決めていくことができる。それって結構幸せなんじゃないかな。
そしてあなたや私の周りにいる人を支えているのは他の誰でもなくあなたや私なのです。
そこにはあなたが比較して落ち込んだ対象はいない。
ほら、ありました。
あなたや私にしかできないこと。
選んだ仕事は違っても、キラキラもしてないけど、今日も世の中の誰かのために私たちは生きて、働いている。
きっと誰かが必要としてくれてる。
だから学び続けてよりよいサービスを世の中に提供しよう。
自分とその周りの幸せのために。